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名古屋高等裁判所 昭和58年(ネ)67号 判決 1983年11月17日

控訴人(被告)

河野唯雄

被控訴人(原告)

主文

一  原判決を取消す。

二  被控訴人の請求を棄却する。

三  訴訟費用は第一、二審を通じ、被控訴人の負担とする。

事実

第一当事者の申立

一  控訴人

主文同旨

二  被控訴人

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

第二当事者の主張及び証拠関係

当事者双方の主張及び証拠関係は、次に付加するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

一  控訴人

被控訴人の後記主張は争う。

控訴人は、昭和五一年四月三〇日加害車の自動車検査証の有効期間が満了してから後は、亡安廣が加害車に乗ることができないよう同人の勤務先である協立運輸株式会社(以下「協立運輸」という。)の倉庫の奥にしまわせ、キーも同人から取上げておいた。また亡安廣と控訴人は、住居を異にし、生計も全く別であつたから控訴人が加害車につき支配を及ぼすようなことはなかつた。

二  被控訴人

仮に、控訴人が昭和四九年六月頃、真実加害車を上宮に譲渡したとしても、控訴人は昭和四八年四月頃に加害車を買受けて以来、本件事故時まで終始登録上の使用者であつたうえ、たまたま昭和五〇年暮頃には、亡安廣が上宮から加害車をいわば買戻して使用を始め、控訴人もその使用を容認しており、更に控訴人は加害車の自動車検査証の有効期間が満了した昭和五一年四月以降は、亡安廣がこれを使用することをおそれ、同人の勤務先である協立運輸の車庫に保管させ、そのキーは控訴人と協立運輸の部長が取上げ保管することによつて加害車を支配管理していた。また本件事故当時、亡安廣は就職していたとはいえ、未だ独立の生計を営むには至らず、控訴人の世帯の一員として同居ないしはこれに準ずる居住関係にあり、同人が加害車をみずから買受け、維持費等を支弁しえたのも、控訴人が日頃その生活を援助していたたまものにほかならない。

以上要するに、父である控訴人は親権に服する未成年者亡安廣を通して加害車の運行を事実上支配、管理しうる立場にあつたものであり、それゆえにその運行が社会に害悪をもたらさないよう監視、監督すべき立場にもあつたというべきであつて、控訴人は加害車の運行供用者にあたるというべきである。

三  証拠関係

当審記録中の調書の記載を引用する。

理由

一  被控訴人主張の日時、場所で、加害車が海中に転落し、被害者伊場川裕之が死亡したことは当事者間に争いがなく、この事実と成立に争いない甲第一ないし第三号証、第五、第一三、第一五号証、原審における控訴本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を併せ考えると、本件事故は、控訴人の長男亡安廣(事故当時一九歳)が加害車に被害者を同乗させて運転中発生したことが認められる。

二  次に、控訴人が加害車の運行供用者であるか否かにつき判断する。

1  前掲甲第一、第一五号証、成立に争いない甲第四号証によれば、加害車につき昭和四八年六月五日、使用者名義人が控訴人、使用者住所が当時の控訴人の住所「名古屋市守山区守山一八」と各変更登録がなされ、昭和五五年一二月一五日職権抹消されるまで、控訴人の右の使用者名義は登録されたままであつたことが認められる。

そこで、本件事故当時控訴人が加害車の所有者ないし使用者であつたか否かにつき検討するに、前掲甲第一、第一五号証、当審証人上宮正の証言及びこれにより成立の認められる乙第一号証、原審及び当審における控訴本人尋問の結果によれば、以下の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。

(一)  控訴人は、昭和四八年四月頃加害車をひかり自動車から代金約二五万円で買受けたが、所有者登録名義人の変更登録手続はせず、使用者及び使用者住所を前記のように変更登録した。

(二)  控訴人は、加害車を自家用自動車として使用していたが、昭和四九年四月頃、加害車の車検を終えた直後から狭心症のため入通院を余儀なくされ、十分に働くこともできなくなつて収入も減少し、右の車検費用約一二万円の支払にも窮したことから、同年六月頃、加害車を友人の上宮に代金一〇万円で売却し、その頃代金を受領するのと引換えに引渡をすませた。控訴人は右一〇万円を車検費用の一部としてひかり自動車に支払つたが、なお、約二万円の未払分があつたことなどから、登録上の所有名義は上宮に変更する手続はされず、放置された。上宮は引渡を受けた加害車のブレーキに手を加え、タイヤを新品に変える等の修理をし、住所の愛知県海部郡七宝町においてこれを使用し、加害車の自動車税は、同人が支払い、ガソリン代、修理費等はもとより同人が支出していた。なお、控訴人は上宮に加害車を売却した後、二、三か月して自家用としてホンダの軽自動車を買入れこれ使用するようになつた。

そうとすれば、控訴人は昭和四九年六月頃、加害車を上宮に売却し引渡した後は、加害車の所有権その他の使用権を失つたものというべく、使用者登録名義が控訴人に残つていることの一事をもつては、右認定を左右するに足りない。

2  次に控訴人が、被控訴人の当審で主張する如き事由に基づき加害車の運行供用者にあたるか否かについて検討するに、前記一に認定した事実に二1掲記の各証拠、前掲甲第五号証、原審における控訴本人尋問の結果により成立の認められる乙第二号証によると、次の事実が認められる。

(一)  昭和五〇年一二月頃、上宮は加害車を買換えようとしていたところ、控訴人の長男亡安廣(昭和三一年八月二八日生)が加害車の買受け方を希望したので、同人に対し代金八万円(二万円宛の月賦)で売却し、その頃これを引渡し、代金は同人より約定どおり全額受領した。しかし、加害車の所有名義、使用者名義の変更はなされなかつた。

(二)  亡安廣は、加害車の買受け後これを通勤や私用に使用していたが、控訴人が使用したことは一度もなかつた。

(三)  亡安廣は加害車を買受けるについて、代金は自己が負担し、その後の維持費等も自費で支払していたものであつて、控訴人は亡安廣が買受けた後二、三日して買受けの事実を知つたが、代金支払等の援助をしたようなことはなかつた。

(四)  亡安廣は昭和四九年一月一六日名古屋市守山区大字守山字井坂の東海鋼管工事株式会社に入社し、昭和五〇年六月に普通免許を取得してからは、運転手として勤務し、昭和五一年二月一五日同社を退職したが、その間同所所在の同社独身寮に入寮していた。一方控訴人もまた、昭和五〇年九月ころからは同社に運転手として就職したため、同一の寮の一階に控訴人夫婦と子供二人(控訴人の弟妹)が、二階に亡安廣が居住することになつた。しかし両者は食事を初め生活は全く別であり、控訴人が亡安廣の生計を援助するようなことは全くなかつた。その後同人は昭和五一年二月一六日からは名古屋市守山区大字幸心の協立運輸に転職し、以来死亡するまで同社の親会社である名雪運輸株式会社の寮で生活していた。控訴人もまた同年四月ころからは協立運輸に入社し、同年六月二〇日頃までは、名古屋市守山区所在のアパート居住し、その後は、同区小幡所在の肩書住居地のアパートに転居した。右アパートはいずれも亡安廣の寮とは三キロメートル内外の距離範囲にあつたが、同人は控訴人方に遊びに行く程度で控訴人とは生計を別にし、控訴人より生活の援助を受けたりすることは全くなかつた。

(五)  亡安廣は加害車を買受けた後、勤務先の東海鋼管工事株式会社の車庫内や寮の近くに保管していた。ところで加害車は昭和五一年四月に車検が切れたが、その際加害車を廃車にすることとなり、亡安廣と協立運輸の加藤某とが、ひかり自動車に協力を求めたところ、未払の車検費用が支払われるまで協力できないとして拒否され、やむなく廃車手続をとらないまま加害車を協立運輸の車庫の奥にしまい、控訴人はキー一個を亡安廣より取上げ保管し、亡安廣が加害車に乗れないようにしておいた(なお控訴人は、本件事故後亡安廣の協立運輸における上司小林健太郎が加害車のキーを一個保管していることを知つたが、当時はそのことも、亡安廣が予備キーを所持していることも知らなかつた。)。

(六)  亡安廣は、右小林や控訴人の保管していたキー以外の予備キーを使用し、同人らには無断で加害車を持ち出し、本件事故を惹起するに至つたが、控訴人は勿論、そのことを全く知らなかつた。

甲第四号証(住民票)は、前認定を左右するに足りず、他に前認定を左右するに足りる証拠はない。

以上の事実関係の下においては、控訴人が加害車のキーを亡安廣より取上げ、保管していたことにより、加害車を支配管理していたとか、控訴人が未成年者の亡安廣との父子関係に基づき、同人を通して加害車の運行を支配しうる地位を取得していたとなし難いことは明らかであり、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

したがつて控訴人を運行供用者とみることはできない。

三  してみると控訴人が運行供用者としての責任を負うことを前提とする被控訴人の本訴請求は、その余の点につき判断するまでもなく理由がないからこれを棄却すべきところ、これと結論を異にする原判決は相当でないからこれを取消し、被控訴人の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民訴法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 可知鴻平 清水信之 佐藤壽一)

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